ごく普通の保育士だった私が「オペア留学」を知り、アメリカのバージニア州に留学した体験談

※ 2023/07/21追記:エポスカード(VISA)の海外旅行保険は2023/10/1以降、付帯条件が自動付帯から利用付帯に変更となります

 

留学先:アメリカ バージニア州

留学時期:2020年〜2021年

性別:女

留学した年齢:20代

目的:オペア留学(ベビーシッター)

 

 私は、あることをきっかけにオペア留学というあまり聞き馴染みのない留学方法でアメリカへ行くことを決意しました。当時ごく普通の保育士をしていた私が約1年後、アメリカのバージニア州でホストファミリーの子どもをお世話を1年間することになりました。

 

留学費用が1年でたったの30万これは行くしかない!と半ば勢いで保育士を退職した私の留学のきっかけ、オペアって何?、英語のスキルは上がったの?といったところをお話しします。

 

オペア留学?留学のきっかけとなったこの言葉

 幼少期から、私の両親がそれとなく英語に触れてほしいと英語教材を取っていたり、数ヶ月だけ英会話に通っていたり、物心つく頃から私自身もなんとなく英語や海外について興味がありました。中学で本格的に英語の勉強をするようになってから、決してテストの点もよくなければ、成績も悪かったにも関わらず、海外という漠然とした憧れを抱き続けていました。

 

しかし、語学なんてとても自分でお金を稼いでいけるようなものではありません。いつか旅行でアメリカに行けたらいいなぁくらいで思いながら、ごく平凡な生活を続け大学生活を終えました。

 

 大学を卒業して2年後、当時保育士をしていた私はその年の夏に大学時代の友達とランチをしていました。同じ保育士をしていた友達が一言、「私今年度で保育士辞める。」と言ったのです。

 

私はてっきり、「保育士の仕事は大変だからなぁ、それは仕方ないね。」と思いつつ「何かあった?」と聞くと、「オペア留学でアメリカに留学するんだ。」と。

 

「オペア留学とはなんぞや?」と聞いてみると、ホームステイをしながらその家庭の子どもをお世話しながら少し学校にも通えて、お給料までもらえる。なおかつ、生活費、滞在費は全て家族側の負担なのに、費用は1年でたったの30万という、留学なんて高くてとっても出来ることじゃないと思っていた私にとっては、破格の値段だったのです。

 

さらに絶賛、保育士として働いていた私は、子どもをお世話してお給料がもらえて、アメリカで生活出来る、なんと夢のような留学なんだと思いました。

 

その日、友達からオペア留学について聞いた私は、その夜すぐにネットでエージェンシーを検索、そして資料請求まで、あれよあれよとあっという間に勢いで情報を収集していました。資料請求をしてから登録までにたったの1週間、家族への相談もほぼない状態のまま私は留学を決意したのです。

 

コロナで留学延期!?渡米までの道のりとアメリカでまず始めに行ったこと

 2020年3月中旬、コロナが広がり始め様々な不安がありつつも、残りの数週間、保育士として最後まで子どもたちと目一杯楽しもうと考えていた時のことでした。アメリカが他国からの入国禁止を発表し、退職まで残り1週間のところで留学が延期になったという連絡を受けたのです。

 

4月後半に渡米を予定し、退職が決定していた私は4月からいきなり無職となりました。いつまで延期になるのかも分からず、自分の地域では緊急事態宣言が発令され、先の見えないことに焦りと不安が募りました。まずは、渡米までの日本での生活をなんとかしなければと思い、なんとかアルバイト先を見つけ生活をしていました。

 

 そんな4月の終わり頃、アメリカのエージェンシーから急に5月の半ばに渡米が出来ることになったと連絡が入りました。しばらくは渡米出来ないと思っていた私は、2週間ほどの準備期間にとても焦りましたが、それと同時に嬉しさもありました。

 

家族や友達からは、当時コロナ感染者が爆発的に増えていたアメリカに行くことに対して、様々な意見がありました。しかし、昔から夢だったアメリカ生活、仕事も辞めて日本での生活を考えられていなかった上に、また入国禁止になるかもしれないと考えた私は渡米することを決意しました。パッキングをしたり、役所関係の手続き、ケータイの解約等をしている内にあっという間に渡米の日になりました。

 

 無事にアメリカに入国し、2週間アパートで隔離したのちにホストファミリーの家へと腰を据えることが出来ました。それから少しして、お給料をもらう上で現地の銀行を開設することにしました。私は念のためアメリカでも使えるVISAカードを日本から持って行っていましたが、レートが変わってしまうためなるべく日本円を使いたくないと思っていました。

 

渡米前に、外貨両替で数十万をドルに変えてキャッシュとして持ち込んでいました。キャッシュのまま持っているのも怖かったので、現地の銀行を開設してからすぐにキャッシュを口座に預けました。アメリカではどこに行ってもカードを使うのが基本、日本では現金派だったので最初は少し不安でしたが慣れたらもう後戻りは出来なくなりました。パスケース1つを持ち歩いていつでも支払いができるのは快適でした。

 

1年アメリカで生活をしてみて、語学力は上がったの?

 英語のスキル0で渡米してから1年、結論から言うと語学力は間違い無く上がりました

 

留学当初、話しかけられる全ての会話が右から左、雑音にしか聞こえませんでした。会話の中から、せめて自分の分かる単語を拾って話の内容の大まかな部分でも理解しようと必死でしたが、その単語1つすら拾えない。会話が早すぎて全てが繋がって聞こえる。質問をされても「Yes」しか言えませんでした。

 

当時の私は、なんでこんな状態でアメリカに来てまったんだと少し後悔するくらいでした。しかし、もう後戻りは出来ないしホームステイなので、必ずファミリーとの会話をするしかない逃げ道のない環境が語学力の向上につながりました。

 

 最初の1ヶ月は、言われたことも2割理解してるかどうかでしたが少しずつ、話し相手の発音のクセやスピードに慣れていき、自分の意見を言うのは難しくても、話してることは理解できるようになりました。そしてオペア留学のプログラムの中に「学校に通い60時間、もしくは6単位を1年以内に取る必要がある」という条件があり、オンラインで英語のクラスをとっていました。普段の仕事ではスピーキングやリスニングをメインに、授業では文法や単語の部分を強化出来るような、私にとってはとてもちょうど良いバランスで生活が出来ていました。

 

 そして1年経った今、正直文法はまだ完璧でもないし言ってることの全てが分かるわけではありません。しかし、相手の話してる会話についていけるようになりそれに対して簡単な文法でも意見を述べられるようになりました。

 

また留学前に英語に慣れようと見ていたNetflixのドラマも当時は日本語字幕に頼りっきりで無意味なことをしていたのが、今では英語字幕、英語の音声でも苦ではなくなりました。むしろ日本語の字幕で見るのが嫌だと思うくらいにまでなったのです。

 

大人になってからも成長を実感できる嬉しさ

大人になってから、自分自身が成長したと感じられることは普段の生活であまりありませんでした。その中で、英語に対しては自分でも実感出来る程に成長できました。その成長もこの年齢なって感じることが嬉しくて、せっかく身に付けた英語のスキルを忘れたくないと思い、現在は語学留学として再びアメリカに戻ってきました。

 

 自分の知らなかった世界を知り、今まで出会わなかった価値観の人たちと出会い、自分の世界が広がりました。この留学の経験を生かし、まだまだ成長し続けようと思います。

 


体験談ここまで

 

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